写真家、広田泉

2022年3月28日、泉さんが永眠しました。

最初に聞いたとき、信じられなくて。ずっと信じられなくて。今でも信じられない。

会葬には行きたくなかった。そうしたら現実になってしまうから。

会葬には行きたかった。顔を見られるのは最後だから。そうしないと現実に思えないから。

泉さんと初めて会ったのは、2007年8月5日。

広田尚敬・広田泉 親子展「2本のレールが語ること」のトークショー。

広田先生、泉さん、私、の3人で並んでのトークショーでした。

初めて会うのに、トークショーなのに、話は終わらず、何時間も続いて。

日中にスタートして、ビルの管理の方から「もう閉めますので」

そう言われてしまうくらい、3時間も、5時間も、何時間も、

トークをして、参加者の方たちと盛り上がりました。

泉さんとは、それから何十回もトークをしました。

イベントで、講演会で、撮影ツアーで、写真コンテストで。

さまざまなときに、いろいろな場所で、本当にたくさん。

私たちのトークは、かけ合い漫才、と言われていて。

なぜ漫才なのか分からないけれど、いつも楽しかった。

泉さんは、美しい写真を撮る人。

それは、目にすることのできる、そこにある美しさ。

人間の目は優秀で、その瞬間ごとの一番美しいものを見ている。

その美しさを、思いや技術、考えや計算、とんでもない色彩感覚と美意識で、写真作品にしていく。

人々の暮らしを支える存在の鉄道を、血の通った、美しい写真作品にする人。

それが私にとっての、写真家・広田泉。

その作品を、ステージで、イベントで、写真展会場で、見ていました。

お互いの新作について、トーク。

そこには、いつも鉄道と旅と写真があり、それに包まれていました。

奥さまの廣田十月さんが「御会葬御礼」に記された言葉を以下に引用させていただきます。

 

「毎年、桜前線が近づくと、天気予報やニュースを見てそわそわし出します。

 その桜前線が東北に差し掛かる頃には

 決まって車中泊の用意をして遠征に出かけておりました。

 今日のような時期は、毎年不在が当たり前になっておりましたので

 「良いのが撮れたよ!」とひょっこり帰ってくるような気がしてなりません。

    (中略)

 自宅での在宅看護に切り替えて三週間、結局、最後まで意識は戻りませんでしたが

 匂いや音で自宅にいることを実感し、また新しい目標を夢見ていたと思います。

 本人不在にはなりますが、今後もその目標や、その先の夢に向かう為に

 皆様の応援を賜りますようお願い申し上げます。

                                (後略)」

がんの告知をYouTube「広田泉 イズミノ撮りセツ」で伝えるとき、泉さんは、自分の撮影技術や思いを全て出し切る、と言っていました。

それは、誰もが目にすることができます。

泉さんの行き方や仕事に影響や刺激を受ける人、生徒さんも、ファンもたくさんいます。とても面倒見の良い人で、仲間の多い人でした。

そして、泉さんの作品は、これからも在り続けます。

だからね、泉さん。

さようなら、は言わないよ。

あなたの思いや仕事、夢は、そうやって未来へ続いていくのだから。

写真家、広田泉は永遠だから。

ただ、ちょっと、さみしいだけ。

会えないのが、話せないのが、すごくすごくさみしい。

お通夜の日も、その後もしばらくは、晴天続き。

私たちはよく「晴れ男」「晴れ女」と互いに自慢し合ったね。

だから。青空や、きれいなもの、シャッターを押した瞬間に、思い出すの。

泉さんとの記憶は、楽しいものばかりだから。思い出すのは笑顔ばかりだから。

青空を見上げたり、撮りたい瞬間に出会ったとき、楽しかったり、美味しかったりすると、泣けてくる。

不意打ちのように泣けてくるのは、きっと花粉症のせいだよね。

嬉しいときや、楽しいときに、泣けて泣けて仕方ない。

涙が止まらなくなるのは、花粉症だから。

きっと、しばらくは春じゃなくても、私は花粉症だよ。

楽しかったね、泉さん。

いつもいつも、楽しかった。

泉さん、ありがとうね。

本当にありがとう。

2022年4月12日 矢野直美